PROFILE

看護師歴13年目Manekko 

こどものときに見たトイストーリーにはまり、どうしてもウッディと話したいと思ったのがきっかけで英語に興味を持つ。その後、小学生ながら洋楽を聞いたり、歌詞を和訳したり、インターネットでペンパルを見つけ英語で文通を始めたりする。母親が看護師だった影響もあり、子供のころから将来は看護師になりたいと話していたが、英語教師になりたいと思い、高校への進学の際に母親に話すも大反対を受け、母親から泣きながら「看護師にならないなら進学のお金は払わない」といわれる。と今思えば金銭的虐待だが、母親はそうとうショックだったらしい。看護師になることを約束し、母親を説得し長期留学プログラムのある高校へ進学する。16歳のときニュージーランドへ留学。英語は話せるようになるも20㎏太る。帰国後1か月で留学前体重へ戻る。

高校卒業後は看護学校へ進学。英語を教えたいと思い、英語の塾講師とバイトを始める。夏休みごろから国試対策を始める周りに対し、国家試験前までバイトをして学校の先生に怒られ続ける。さすがにやばいと思い、国試1か月前から勉強し始めるも、遅すぎたと後悔。なんとか無事合格する。

新卒で希望するも、まさかのリハビリ病棟に配属になる。たぶん理由は配属希望用紙の第1~3希望まですべて救急と書いたためだと思う。、入職前にすでに心が折れた状態で看護師人生をスタートさせることになる。当時の病院では異例の3年目で消化器呼吸器乳腺外科病棟へ異動。同病棟で周手術期、ターミナル期の看護に携わる。そこでターミナル期の40代の受け持ち患者が「最期は家で家族と過ごしたい」と言ったことで初めて在宅医療に関わる。最期を家で迎えたいという人に寄り添う在宅医療に興味を持ち、訪問看護師へ転職する。

たまに、留学時代と友達と英語で話す程度。2年前に、訪問看護をしているグループホームに技能実習生のフィリピン人の女の子が入職し英語で会話し始めたことをきっかけに、また英語を勉強しはじめる。

現在訪問看護師歴7年目。←いまここ